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 去る7月17日海の日、駒ケ根文化会館大ホールにて上記演奏会が開催されました。たくさんのお客さんにお越しいただき、聴く側も、演奏する側も、演奏会を支えたスタッフも、みな笑顔になれた演奏会でした。
 静岡児童合唱団の団員、私の患者さんからご寄稿いただきましたので、ご紹介いたします。また、皆様からいただいたアンケート、私がいただいたメールや手紙からの声もご紹介いたします。

心の糧
   静岡児童合唱団  中二 一條桃璃

 よく晴れた日の早朝。私達の演奏旅行は始まりました。
 一日目。バスにゆられて無事に長野県に入り、まず光前寺に行きました。そこにはこもれびカルテット
6光前寺詣り④ きのう.jpg
の方々も来て下さっていて嬉しかったです。霊犬早太郎をまつったお寺ということで、早太郎のお墓もみられました。その後、「こもれびの家」で頂いたお夕食はとても美味しく、緊張もほぐれました。そして、夜のリハーサルでは、ホールの響きに慣れるのに時間がかかってしまい、本来の実力を出し切ることが出来ていなかったように思います。実は、お夕食があまりに美味しく、ついつい食べすぎてしまっていたため、思うように声が出せませんでした。少し反省しています。
 二日目。いよいよ待ちに待った本番当日です。午前中の練習では、一日目のリハーサルでの反省を活かした練習が出来ました。これからは一日目からそのような練習が出来ることを意識していかなければと思いました。
 そして迎えた本番。私は日頃の練習の中で先生から「自分にとっての二百パーセントの力を出し切ろう」と指導を受けているため、それが出来るようにしようという気持ちで、自分なりに精一杯歌いました。
 合同演奏では、こもれびカルテットの方々や混声合唱団「明日歌」の皆さんと歌わせて頂きました。立
伊那節木曽節.jpg
体的なハーモニーを十分楽しむことが出来たと思っています。四月の演奏会の時には、こもれびカルテットの方々が静岡に来て下さり、今回は三ヶ月ぶりにこうしてご一緒でき、前回に比べると心にゆとりをもって楽しみながら歌うことができ、この音楽会が素敵な思い出となり、また自分自身の心の糧ともなりました。今回の演奏旅行は、何人もの素敵な方々に囲まれながら、自分を成長・向上させるきっかけの一つとなったと思っています。学んだことも感じたことも、ここには書ききれないくらい沢山あります。今回、共に素敵な音楽会を創りあげて下さった皆様に心から感謝申し上げます。
 また三年後に前山先生をはじめ、駒ヶ根の皆様にお会いできることを楽しみに、これから三年間、心を新たにして、練習に励んでいきたいという気持ちでいっぱいです。
 本当にありがとうございました。
マニフィカト.jpg


演奏会に対する全般的なお声

★芸術的な作品から、親しみやすい作品まで幅広くて良かった。
★合唱の表現力がこれほど豊かなものは初めて聴きました。
★今でも感動の鼓動が残っています。4回目の音楽会は、言葉にならぬ程進化(深化)していました。努力の過程が結実していました。
★子供からお年寄りまで楽しめ、時間の過ぎるのが早く感じ、良いひと時を過ごせました。アンコールです!
★子供と共に楽しめ、2時間しっかり音楽にひたりました。歌って良いなあと感じました。
そうらん節.jpg
★3年後にここに座ることが出来るのか、夫と今回が最後と思って感慨深く聴きました。四度目の公演で、企画も構成も今までと違った垢ぬけた感じがしました。
★スタッフの方々皆さんで作り上げた音楽会で、いつも素晴らしいと共感します。3年後も楽しみです。
★「こもれびカルテット」という名前のように温かな優しい雰囲気のコンサートだったと思います。
★会場全員が参加できるものをもう少し増やしてほしい。
★静児の美しいハーモニー、こもれびの力強い歌声、明日歌の大ホールを包み込む歌声がベストマッチして、とても良い演奏会でした。
★また来年もやって欲しいと思うくらい、趣向をこらした充実した内容で、あっという間の2時間で楽しめました。
★唐沢先生の大ファンになりました。お話しも軽妙で良かったです。
★アイデア一杯の楽しいステージで、最後まで飽きませんでした。
★大人も子供も楽しめる合唱。楽しく心が洗われました。平和な時が続きますように。
★大人と児童の歌声が一つになるステージは圧巻の一言。色々な事情はあると思いますが、可能なら毎年聴きたい!(ご勘弁ください)
★こもれびカルテットと明日歌の合同演奏会をもっとやって欲しい。今回だけで終わらせるのはもったいない。



静岡児童合唱団・こもれびカルテットに対するお声

<静児>
★ピュアな声が心にしみ込むようでした。
★ウィーン少年合唱団のような天使のような声、感動しました。
★低学年のお子さんもいらしたのに本当に凄いですね。大人になったら、素晴らしい合唱団で活躍されるでしょうね。
★低中高音での素晴らしハーモニー、圧巻でした。
★バリエーションが豊かで素的な歌声!たっぷり楽しみました。
★初めて聴きましたが、響きの素晴らしさにビックリしました。
★こもれびカルテットの追っかけしてきて良かったです。静児に出会えたんですから。
★すごく難しい曲を、しっかり歌い上げていて良かったです。
★透きとおるような高音が心地よく響き、それを男声がしっかり支えていて、すばらしかったです。
★子供さんだけの歌声を聴いてみたかった。
★エチュードは個性が色々出て楽しめました。小さな体であの声量はすごいです。

勇気保育士さん.jpg
<こもれび>
★パフォーマンスがとても面白く、目と耳で楽しめました。子供が楽しめる選曲で、客を飽きさせない終始楽しめるステージでした。
★楽しい楽しい、そして美しい響き、これからも応援しています。
★大漁節、縄を引くパフォーマンス、素的でした。
★ユーモアたっぷりのステージ。会場全体がニコニコになりました。先生のお人柄が表れていました。
★あわて床屋笑えてストレス解消です。緊張の中にも力強い歌声で心に響く。さすが癒し系ですね。一服の清涼剤です。
★観客層を考えれば、余りクラシックに走るよりいいと思います。
★観客との触れ合いを感じる密着感が良かったです。
★カルテットのハーモニー、保育士さんの踊り、良かったです。


癒されて
      宮澤かずゑ

 待ちに待った、第4回すずらん大音楽会が文化センターにて開催されました。お隣さんご夫婦をお誘いしていそいそと出掛けました。暑い日差しの中、子供さんの手を引き移動の方々が会場の中へ吸い込まれていきます。受け付けのスタッフの方々も、笑顔で迎えて下さいました。いよいよ開演。前列のいい席です。
あわて床屋.jpg
 こもれびカルテットの皆さん表情筋豊かで、相変わらずユーモアがあり楽しかったです。選曲も良く衣装の早変わりも感動的でした。子供さん方にも大受けでしたネ。皆さん忙しい中で、メンバー心を一つにして練習し、音色を大切に、そして、ダイナミックに男声合唱を表現されている姿に勇気と安らぎをいただきました。
 静岡児童合唱団の皆さん、天使のようなやさしさと落ち着いた歌声で、山のせせらぎの風景が浮かんで参りました。張りのあるソプラノの凛とした音色が心にしみ渡りました。日頃の練習の様子が目に浮かびます。オルガン、ピアノの先生方、長時間、本当にすばらしく感動していました。
 最後になりましたが、指揮者の先生、やさしそうで、しなやかで素的です。皆さんとコミニュケーション取りながら自分をしっかり出して、相手と向き合う姿に感動し、私たちみんな心癒されたと思います。
 真夏の日のひと時、音の森におさそいいただき、ありがとうございました。いやな事が多い今の世の中、音色を通して手をつなぎ、笑顔になれますよう祈りながら・・・・・。



合同ステージに対するお声

★久々の音楽授業で、合唱でのクラシックは初めてでした。解説がついて、分かりやすく楽しめました。
★すばらしい!明日歌とのコラボも良かったです。唐沢先生の指揮もすばらしい。「ステージ」大好き!
★とても感動で、涙があふれました。
★ピアノ伴奏が合唱にとけ込むようで、素的でした。
★クラシックの趣向が違って、とても新鮮でした。さすが唐沢先生、解説も分かりやす
フィンランディア.jpg
く楽しいです。
★フィンランディア、胸に響く重厚な歌声です。一番良かったです。
★ボリュームがあって、クラシックの良さも出て、重厚な中に高度な音楽を感じました。
★唐沢先生の指揮、平澤さんの伴奏、どちらも素晴らしかったです。特に最後の2
曲は、ステージの皆が一体となって感動的でした。
★クラシック音楽をコーラスとして歌う、というユーモアのある発想にとても驚いた。すばらしい演奏でした。
★歌っていいですね!心に染みました。良い思い出の1ページに刻まれましたこと、感謝いたします!
★人間味あふれる、レベルの高い音楽を体で感じられました。
ありがとう!


 一條さん、宮澤さん、ご寄稿ありがとうございました。
  皆さん、3年後をお楽しみに!

 去る平成26年7月20日、駒ヶ根市文化会館大ホールにて第三回静ぞか児童合唱団駒ヶ根公演~すずらん大音楽会~が開催されました。この公演に前駒ヶ根高原美術館館長の松井君子さんより感想文を頂戴しましたので、ご紹介いたします。

 

清澄な歌声を聴いて    松井君子

 今年の梅雨は例年より十日以上長かった。
 中央アルプスの向う側、南木曽では中学生が犠牲になった。この伊那谷は大雨や台風の災害もなく、無事梅雨が明けた。
 二〇〇七年、第一回すずらん大音楽会が開かれて以来三回目が駒ケ根市文化会館の大ホールで開かれた。この音楽会を第一回から聴かせていただき、今回も楽しみに七月二十日を待っていた。というのはこの汽車の旅①.jpg音楽会は、出演者と聴衆が一体化し、障害を持った人、健常の人、全ての人々が心から音楽を楽しめるからなのだ。誰もが音楽を好きになれるからでしょう。
 一部オープニング、汽車の旅メドレーでステージで歌う人、会場で聴く人が歌の汽車に乗って、「さあ!歌の旅にでかけよう」そんな雰囲気に参加者全員の心を引きつけた。
 第二部はルネッサンス(十四から十六世紀)時代の音楽。均整と調和のとれた再生の意味を持つ意味で、天から下りて来た声とも思われる美しい澄んだハーモニーに静まりかえった会場は包まれた。
 アカペラ(無伴奏)であったし、子供達一人一人が麗音ともとれる実力のある演奏で、私もヨーロッパのキリスト教の名画を見ているようであった。
ポリフォニー.jpg ポリフォニー(十から十七世紀)は各一人一人、各声部がそれぞれ平等の重要性を持ち和声的な関連を持つ多声音楽であり、教会のカテドラルでよく歌われる。この三曲は私のまわりの人々も殆ど聴いたことのない曲なのに、音楽の魅力に感心の声がボソボソとささやかれていた。また、ブルガリアの歌も私自身ははじめて聴いた合唱曲であったが、音楽は世界共通の「ことば」と感ぜられた。
 あんな小さな子供から大人まで心を一つにして、練習には苦しみもあったでしょうが、美しいハーモニーに感嘆した。
 第三部はこもれびカルテットによる日本の歌。心から歌うことの好きな男性四人、選曲も誰でも知っている五曲。年老いたおじいさんが時計に自分の人生を懐かしみ、静かに思い出を語る古時計、胸にじんとくる名曲である。このステージは五曲それぞれ趣がまったく異なっているカルテット②.jpg。一人一人の個性と、実力のあるカルテットのたまものでしょう。笑いあり、しゅんとする時あり、男性カルテットの清潔な音楽は楽しい時であった。このようなバラエティに富んだ構成の音楽会は意外と舞台上の人が自己満足に陥りやすいと過去の音楽会で感じたこともあったので、そんなこともなく、私の席の後部座席の人々も一体化して小さな声でうたっていた。誰もが知っている歌を舞台上で歌うことは、聴く人々も一つの先入観とイメージを持って聴くので、意外と難しいだろうなあと思いながら楽しませていただいた。
 第四部は会場に入ったときから目立つ楽器チェンバロを意識していた。数十年前に小林道夫氏によるチェンバロ演奏会を聴いたことがあり、記憶に残っている。ただ音楽好きの私はバロック時代の音楽、ヴィヴァルディの「四季」ぐらいしか多くを知らないが、今日はこのプログラムを楽しみにしていた。
 バロックという時代(歪んだ真珠)十六から十八世紀にヨーロッパ全土に盛行した動的な表現様式で古代ローマ、ロシアのセンクト・ペテルブルクなどで華やかに文化が花開いた。この日の演奏会はヴィヴァルディが見た日本の四季と名付けられ、私達が誰でも口ずさむことの出来る「花」などに代表される楽曲を全員四季.jpgで演奏してくれた。ヴィオリンの奏でるバロック、「アンサンブル・ヴィリデス」とともにバロック時代の中に聴衆は引き込まれた。
 愉快で美しい、全てが品格のあるバラエティーに富んだ音楽会であった。この企画を実現させてくれた前山先生、そしてそのスタッフの皆様に心から感謝と御礼を申し上げたい。芸術に国境のないそういう意味で最後に私の大好きなビートルズのジョン・レノンの「イムジン」の詩を書きます。

 

 

  イムジン(部分)

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も 死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって・・・

想像してごらん
はだの色が違っていても
国が違っていても
ことばがちがっていても
男や女、子供 大人がいても
いつか私もあなたもみんな仲間になって
平和に生きているって
きっと世界はひとつになるんだ 
            
                 ―ジョン・レノン―

 私が今日の音楽会で思ったことなので訳は違っているかもしれません。音楽は世界共通語、駒ケ根で一人の医師がこんな素敵な音楽会が開催できたことに参加者全員で敬意を表します。

 

 
 松井君子さんにはこのような素敵な感想文を寄せていただき、感激しました。最終曲の『あなたの名を呼んで』は、作詩作曲者の唐沢史比古先生に指揮を振っていただきましたが、この依頼は本番直前に唐沢先生にお願いして実現したも君の名を.jpgのサムネール画像のです。この曲に会場の多くの皆さんが涙したと聞きました。音楽会後、患者さんから診察室で「楽しかった」「感動した」「毎年開催してほしい」などの感想を頂戴し、主宰者冥利に尽きる思いをしております。今回の音楽会のプログラムは、クリニックスタッフによる手作りで、きれいな出来ばえにご好評をいただきました。本番前日には「こもれびの家」で厨房スタッフが静岡児童合唱団(静児)の皆さんに夕食を提供し、大変美味しかったと喜んでいただきました。音楽会当日は、受付、交通整理など、クリニック、こもれびの家スタッフが総出で音楽会を支えてくれました。音楽会の打ち上げでは、静児の子供たちが4グループに分かれて、自作の劇を披露してくれました。音楽ばかりではない静児の子供たちの才能に驚かされました。音楽会の翌日は天気にも恵まれ、駒ケ根キャンプセンターにて、飯盒炊飯、小出俊美さん提供の鮎の一夜干し、スイカ割りなどを楽しみました。こもれびの家のスタッフがお世話してくれて、静児の子供たちにとって、夏のいい思い出になったと思います。菅の台こまくさの湯でゆったりとお湯につかってもらい、無事に静岡への帰路につきました。クリニック、こもれびの家のスタッフの献身的な働きによって、音楽会は大成功のうちに幕を閉じました。この場を借りて、心より感謝いたします。第4回は3年後です。皆さん、健康で元気でいて下さいね。  

「越石清行さんと私」

 今回の音楽会では、十五年程前、長野赤十字病院時代に私が主治医をさせていただいた越石清行さん(千曲市在住、現在八十八H21.6音楽会全体.jpg歳)を紹介させていただきましたが、ここでも改めてお話いたします。越石さんの胃に進行した悪性リンパ腫を見つけた私は、外科に紹介し手術をしてもらいました。腫瘍は胃外にも浸潤し、癒着が強く一部しか切除できませんでした。外科医より余命数ヶ月と宣告された越石さんは私の元に戻ってきました。内心では厳しいと感じながら、「一緒にがんばりましょう!」と越石さんを励まし、抗癌剤を使った化学療法を行いました。これが奇跡的に著効し、腫瘍が劇的に縮小、再手術により腫瘍を全部取り切ることができたのです。
 太平洋戦争のさなか、十九歳の越石さんは早稲田大学の合格をけって、志願兵としてグアムに赴きました。四十八人の工作部隊に配属されましたが、戦況は悪化し、グアム島に上陸した米軍に追い詰められていきます。一発撃てば千発の弾丸がかえってくる圧倒的な火力の違いの中で、仲間は次々と戦死。強運の持ち主の越石さんは、被弾しながらも命を落とすことなく終戦を迎えました。捕虜となり収容所に入った越石さんは、全身タムシだらけになっていましたが、米兵に全身を洗ってもらって治療を受け、この時アメリカという国の懐の深さに感心したといいます。収容所で自分以外の四十七人を見つけることが出来ず、四十八人中一人の生き残りであることを知ったそうです。越石さんの兄もグアムで戦死しており、最近になってグアムのどこで亡くなったかがようやく分かったといいます。
 日本に帰って、越石さんは工場を立ち上げ、がむしゃらに働きました。それなりの成功をおさめ、七十歳前半で胃の不具合を訴え、長野赤十字病院を受診し、私に出会うことになったのです。胃の悪性リンパ腫を克服した後も、狭心症のため心臓のバイパス手術を受け、数年前からは喉頭癌を患い、放射線療法を受けました。私は長野赤十字病院を退職後は昭和伊南総合病院へ二年勤務した後、クリニックを開業いたしました。私の近況は年賀状やすずらん新聞で越石さんにはお伝えしていました。
 三ヶ月ほど前に越石さんから開業のお祝いにいただいた掛け時計が止まってしまいました。佐久長聖中学三年生の次女友里子の部屋で使わせてもらっていましたが、縁起でもないと思い、工場にまで送ってもらい直してもらいました。そんな折り、越石さんからクリニックに電話があり、スタッフに対して「私は元気でやっとると院長に伝えてくれ」という伝言がありました。胸騒ぎを感じた私は、越石さんのお宅に電話したところ、喉頭癌の放射線治療後の経過は良好とのことで私は一安心しました。この電話の際に越石さんから「先生に会いてえや」の言葉があったため、スタッフに千曲市まで迎えに行ってもらい、今回の音楽会にご参加していただく予定でした。八十八歳という高齢でもあり、越石さんの体調も今一つすぐれなかったため、残念ながら今回はご参加いただけませんでした。
 友里子・パパ.jpg音楽会では、越石さんの掛け時計のお世話になった次女友里子に、ヴァイオリン演奏をしてもらいました。平澤まゆみさんのピアノ伴奏で二曲、「アメージング・グレース」と私の歌も一緒に「大きな古時計」を演奏いたしました。この演奏の前に、半年前に越石さんからいただいたお手紙を披露いたしましたが、ここでも一部を紹介いたします。「先生には後という文字は無い 素晴らしい。前に進む、だから私も先生に生きさせてもらった。」医者冥利に尽きる有難いお言葉でした。この手紙で、越石さんが金毘羅神社に灯篭を献上、区の神社に狛犬一対を献上、市のお年寄り事業に五百万円を寄付するなど、様々な社会貢献を行ってきたことを知りました。
 越石さんに音楽会の様子を見せてあげたいと思い、音楽会の翌日、録画したDVDを持って、千曲市の越石さんのご自宅に行ってきました。近所のおばあさ越石さんと.jpgんお二人も呼んで、DVD観賞をいたしました。友里子のヴァイオリン、こもれびカルテットの演奏をお見せして、大変感激していただきました。越石さんからは、長野赤十字病院での思い出、グアムでの生々しい戦争体験、若い人が結婚しないことへの心配などの話がありました。私に対して「先生を頼りにしているたくさんの患者さんがいるんだから、トライアスロンは止めてくれ。合唱はいいよ。」とのお言葉もいただき、真摯に受け止めさせていただきました。「戦争はダメだ、二度とやっちゃあいけねえ」と何度もおっしゃっていたのが印象的でした。別れ際には越石さんの歴史がわかる部屋に招かれ、多くの感謝状を見せていただきました。その中には天皇陛下からの紺綬褒章もありました。グアム戦友会の写真の下には、グアム島が描かれた旗が掲げられていましたが、杖で指しながら「これがいけねえ」と話されたのが印象的でした。
 来年の夏、静岡児童合唱団の駒ヶ根公演があることを話したところ、一緒に暮らされている長女のショウ子さん(字がわからず失礼いたします)が、「私が連れていくから、元気でいて」と話してくれました。脚がおとろえないように毎日階段の昇り降り二十回を日課にされており、頭もしっかりされている越石さん、これからも元気に長生きしてくれることを心よりお祈りしております。
昨年9月、佐渡でのフルトライアスロン2度目の挑戦は、最後のランを棄権し完走を果たせませんでした。大会3週間前に右中足骨を骨折したためです。この時に、50歳になる今シーズンは、4月の宮古島、9月の佐渡の大会に参加したら、フルトライアスロンへの挑戦は止めようと決心しました。そして、4月15日初めての宮古島トライアスロンに参加することになりました。北朝鮮のミサイルが2日前に発射され、その影響を受けることなく、大会は開催されました。ワイド~.jpg
 スタートは宮古島東急リゾートホテルの海岸からです。海は穏やかで波はなく、スイムには絶好のコンディションでした。宮古島大会28回目で初めてという有志選手による号令で、1470名が「ワイド!ワイド!ワイド~」(ワイドは英語ではなく、宮古島の方言で、がんばろうという意味)の気合入れの掛け声。「よ~し、やってやる」という気持ちになりました。
 今回の大会エントリーのご支援をいただいた松川義和さん(茅野市在住で宮古島に縁のある方)の助言通りに、バトルに巻き込まれないように3千メートルのスイムは後方からゆっくりスタート。今までのトライアスロンの海とは違って、抜群の透明度。潮の流れもあまり感じることなく、ロープ沿いをゆったりと泳ぎました。1千7百メートルの2スイム前.jpgつ目の折り返し地点を過ぎてすぐ、左足趾に何かに噛まれたような激痛。選手が噛んだのか(まさか!)、何か魚に噛まれたのか・・・骨折でもしたのではと不安になりましたが、5分程で痛みが和らぎひと安心。レース後に判明しましたが、左第3足趾に選手の手で引っ掻かれたような擦過創がありました。2千メートル過ぎくらいから、陽が海に差し込んで、海がコバルトブルーに輝いて感動感動。宮古島海域はサンゴ礁が豊かな海で、色鮮やかな熱帯魚もたくさん見られて、さながらシュノーケリングをしているようでした。スイムではあまり消耗することなく、タイムは予測通りの1時間4分(第837位)でフィニッシュしました。
 ウエアを着替えて、バイクスタート。バイクは島を一周半する155kmのコースで、来間(くりま)島、池間(いけま)島に渡る大橋を往復する設定が売りの比較的平坦なコバイク.jpgースでした。昨年参加した東伊那の白川眞武さんからは、ひたすら浜風に耐えるように助言をいただいていましたが、幸い風が弱く、バイクが不得意で寒さのためバイクの練習不足だった私にとってはラッキーでした。池間島大橋を渡る時は、陽が指して海がきれいに輝いて、思わず「最高~」って叫びました(下写真)。池間島がなんだか昔懐かしい「ひょっこりひょうたん島」に見えて、頭の中では「波をジャブジャブ、ジャブジャブかきわけて、ジャ~ブ、ジャ~ブ・・・」という音楽が流れて、この時だけはバイクをこぐ脚が軽快に感じられました。最後のランに余力を残そうと考え、バイクは終始抑え気味に。たくさんの選手に抜かされ、155㎞を6時間19分でフィニッシュ。バイクは第1172位、通過順位は1135位池間島.jpgでした。
 ランを走り出すと、回りの走者は疲労こんぱいで、あまり脚の上がらない選手、歩いている選手が目立ちました。そんな中、私は時速9㎞くらいのスピードで走り始め、応援の人からは「ナイスラン」の掛け声をたくさんもらうことができました。気温は29℃、風もなく、体感温度はおそらく35℃を越えている感じでした。2、3㎞毎に設置されているエイドステーションでは、しっかり水分と栄養補給をして、冷水を頭からかぶって体を冷やし、さらに帽子の中に氷を入れ、ひたすら暑さに耐えながら歩くことなく脚を前に進めました。折り返し地点を2時間20分で通過、時刻は16時40分。この頃からようやく涼み始めましたが、疲労感が増して、脚の上がりも少しずつ悪くなりました。
 そんな中で「このレースをフルトライアスロンの最後にしよう、悔いのない走りをして有終の美を飾ろう」とふと思い立ちました。30㎞を過ぎてからは死に物狂いで「完全燃焼しよう!」と心で叫びながら走りました。35㎞のエイドステーションを直前に、救急車がやってきました。もし心肺停止の選手がいたら医師として蘇生処置をしないといけないフィニッシュ.jpgと覚悟して向かったところ、私が到着する直前で救急車は去りました。体力も限界に近づいていたので、正直なところほっとしてゴールへと向かいました。
 残り7kmは陸上競技場に向けて街なかを走るコース。「ワイド~ワイド~」、「後もう少し~」、「お帰り~」と多くの応援を受け、「ありがとう」と応えながら、最後の力を振り絞って「悔いのない走りをしよう」と念じつつ、脚を前に進めました。そして、感動のフィニッシュ。42・195kmを4時間50分13秒で走り、ラン順位は432位。総合では12時間13分52秒、第721位(参加1470名)でのゴール。最後のフルマラソンでは、実に414名を抜き去って、最高のレースをすることができました。こうして、宮古島でストロングマン(強人)の称号を得ることができました。今回もサポートしていただいた私の師匠、小出俊美さんにはこの場を借りて心より感謝いたします。ありがとうございました。
 さて、今回の宮古島トライアスロン参加で得た教訓、思いがあります。まず、目標を完走証.jpg達成するに当たっての準備には真剣に臨むべきですが、焦らずコツコツと、ゆっくりと行い、無理はしないということです。前回の佐渡では、練習がオーバーペースになり、結局、骨折というアクシデントを招いてしまいました。今回はバイクの練習が寒さのため、あまりできませんでしたが、仕方ないことと諦めて、可能な限りスイム、ランの練習に集中しました。無理のない範囲でベストを尽くせば、良い結果が得られると感じました。
 それから、目標を設定しても(私の場合、50歳で2回のフルトライアスロンを達成すること)、自分の中の価値観が変化すれば、それにこだわらず軌道修正すべきということです。フルトライアスロンへの挑戦は、強じんな肉体、精神を鍛えるという点では素晴らしい事だど思いますが、正直なところ寿命を縮めるものです。私には100歳まで生きて、できる限り、私の患者さんの健康や幸せの力になっていきたいという目標があります。年齢に見合った適度な運動に切り替えて、皆さんと一緒にスポーツを楽しんでいきたいと思うようになりました。すずらん会で、距離の短いランニング大会への参加、山歩き、ウォーキング会などを企画して、皆さんと一緒に汗を流していきたいと思います。また、すずらん新聞で、ご案内していきますので、お楽しみにしていて下さい。

 平成十四年四月一日、『思いやりの医療、良質でわかりやすい医療、健康を保つ医療』を理念に掲げて、まえやま内科胃腸科クリニックが開業となりました。この三月いっぱいで節目となる十年となり、この新聞も第百二十号です。今回はクリニックの十年を振り返り、今後のあるべ姿も考えてクリニック外観.jpgいきたいと思います。
私の三つのこだわり
 開業にあたっての私のこだわりの一つは、クリニックに来院される患者さんが癒される空間作りでした。ハード面では待合室の天井を高くしてゆったりスペースにしたり、敷地内の緑を増やしました。ソフト面では受け付けや看護師の思いやりのある応対です。私が特に教育したわけではありませんが、うちのスタッフの接遇の良さは皆さんも感じられている通りだと思います。
 こだわりの二つは、病院に負けない設備の充実です。一般血液検査の結果をその場でお知らせできる検査器械、内視鏡装置の充実、超音波装置、レントゲン器械などを入れ、、平成十八年からはヘリカルCT装置も導入いたしました。検査診察を受けた患者さんには、病状をていねいに説明し、必要な治療を行い、検査結果や治療方針などは報告書として手渡すようにしました。力が及ばなかったことも多々ありますが、「まえやまクリニックに行けば、何とかしてもらえる。」という患者さんも多かったと思っています。
 こだわりの三つは、私やクリニックスタッフと患者さんが交流できる場を作ることです。一番はこの「すずらん新聞」です。色々な病気を取り上げわかりやすく説明する内科トピックス、スタッフ紹介、私のトライアスロン・マラソンの奮戦記、クリニック行事の紹介、スタッフによるコラムなどを掲載した新聞を毎月発行し、すずらん会員には郵送、会員でない方も待合室で閲覧できるようにいたしました。毎月発行するのは題材を見つける苦労もありましたし、大変だと感じる時期もありましたが、皆さんから内容が素晴らしいとのお誉めの言葉が力になって、今日まで続けることができました。新聞の体裁も当初からは進化していますし、第百十一号からは読みやすいようにA4サイズからB4サイズに大きくいたしました。記事を13回音楽会全景.JPG作るには、本を読んだり、インターネットで情報を収集しなければなりませんので、私にとって勉強になっています。読んでわかりやすく、楽しいと思っていただける文面作りを心掛けてきましたが、これからもさらに紙面の充実を図りたいと思っています。
 毎年六月と十二月の年二回、クリニック待合室で行ってきた「ずすらん音楽会」も患者さんとスタッフとのいい交流場所になりました。患者さんや私の友人、スタッフが一同に会して、美味しいお料理やお酒を楽しみながら、声や楽器で音楽を奏で合う手作りの音楽会、おそらくこんな音楽会は日本全国を探しても他にないのではないでしょうか。この音楽会を母体に活動している男声四重の「こもれびカルテット」も徐々に実力を付け、平成二十二年三月には全国アンサンブルコンテストへ長野県一般の部代表として出場を果たしました。
 私が大学時代からお付き合いのある戸﨑裕子先生が主宰される静岡児童合唱団の子供達には、平成十九年(駒ヶ根高原美術館)と平成二十二年(駒ヶ根市文化会館大ホール)の夏、公演会をしていただきました。多くのクリニックの患者さんが、その天使の歌声に酔いしれました。今後も三年に一回の駒ヶ根公演を続けていこうと思っております。ちなみに、第三回公演は静児ステージ.jpg来年夏となります。お楽しみにしていて下さい。
 クリニックのイベントとしては、天龍村梅花駅伝があります。今年の二月で「チーム鈴ラン」としての参加は6回となりました。スタッフ、患者さんの応援を背に、梅咲く長野県最南端の山村で、選手が全力でタスキをつないでいくこのイベントでは、今まで様々なドラマがありました。今年は「チーム鈴ラン」Tシャツを作成し、2チームでエントリーしました。
内視鏡専門医としての実績、超音波実績
 苦痛の少ない検査を心掛け、「内視鏡ならまえやまクリニック」の評価をいただいてきました。この十年間で胃カメラは件、大腸カメラは件行ってきました。入院なしで日帰りで大腸ポリープを内視鏡的に切除できる長野県で唯一のクリニックです。大腸ポリープの内視鏡的切除は十年間で件行いました。年間の処置件数は、昭和伊南総合病院をしのぐ実績です。
 消化器癌の発見ですが、この十年間に胃癌大腸ポリペクトミー.jpgは72例見つけ、昭和伊南総合病院などに内視鏡的治療や外科的治療を依頼いたしました。大腸癌は223例見つけ、そのうちの約八割は当クリニックにて内視鏡的に切除しました。大腸癌がいかに多い癌かお分かりいただけると思います。食道癌は4例見つけています。進行癌のためお亡くなりになった患者さんもいらっしゃいますが、多くの患者さんは早期での発見で癌を克服しています。症状がなくても、一年に一回の胃カメラ、三年に一回の大腸カメラを行っていただきたいと思います。
 超音波は開業当初より臨床検査技師の木下和美が行ってきました。彼女の実績ですが、総件数は件で、肝臓癌7例、胆嚢癌2例、膵臓癌3例、卵巣腫瘍4例、腎臓癌5例、膀胱癌2例、乳癌5例を見つけてくれました。
介護への取り組み
 人は誰でも年老いていき、体が不自由になったり、認知症を患ったりします。クリニックに定期的に通院してくれている患者さんも例外ではありません。私が診ている患者さんが介護の必要になった時、出来る限りのお手伝いをしてあげたい、そんな気持ちで平成二十年四月に立ち上げたのが通所リハビリ「こもれびの家」です。当初は、クリニック2階で行っていましたが、平成二十年十二月よりクリニック西側に増築しました。さらに、昨年夏にはクリニック南側に多目的スペールグリーンハウスを増築いたしました。
 紆余曲折があり、開設当初のスタッフで残っているのは、武田哲也理学療法士だけです。介護事業でのスタッフの定着率の悪さを実感し、赤字経営が少なくとも3年は続いたため、苦労が多い事業となりました。現在はスタッフも固定化し、私の両親がP1030289.JPGのサムネール画像務める施設長、施設長代理の努力もあって、業務の効率化などにより、経営が健全になりつつあります。個別対応の丁寧なリハビリ、介護スタッフの親切な応対、美味しい昼食などご好評いただいております。この4月より新たな理学療法士(登内靖子)を迎え入れ、デイサービスとは差別化をはかった、あくまでリハビリ重視の通所リハビリを目指していきたいと思っております。
クリニックの進化
 平成二十年よりレントゲン・CT検査をデジタル化し、電子カルテも導入いたしましたが、酒井看護師長が触れているので、省略いたします。
 平成二十二年の四月から六月にかけて、患者様満足度調査を行い、患者さんの待ち時間の短縮や待合室でいかに快適に過ごせるかに主眼を置いた改善を行いました。血液検査器械を増やし検査結果が出るまでの時間を短縮、待合室でのTV上映機会のアップ、雑誌類の充実、ゴロンと横になれるスペースの確保など、患者さんの声に応えてきました。この改善によって、以前よりは待ち時間に対するクレームが少なくなったと感じております。
これからの医療法人すずらん
 クリニックに関しましては、内視鏡設備のさらなる充実、MRI装置の導入、私の負担軽減(新たな医師の確保)が目標でしょうか。通所リハビリこもれびの家では、リハビリをさらに充実させて、クリニックの患者さんを中心にいつまでも元気で過ごしてもらえる頼りになる介護施設を目指していこうと思っております。将来的にはショートステイ、老人介護保険施設などの併設も考えておりますが、正直な所、五十歳となった私には荷が重いかもしれません。次世代の課題でしょうか。医療、介護間のスムーズな連携をはかるためにも、現在休業している居宅介護支援事業(ケアマネージャーによる支援)は近々復活させたいと考えております。
 皆様方の健康と幸せを支えていけるように、医療法人すずらんは考え、今後も努力して参ります。

 

 

 


 

 9月4日朝は余裕を持って3時起床。スタート地点に5時に入って、トランジットで準備を行いました。そこで、スイムは3千8百mから2千mに短縮され、スタート時間も6時から6時20分に変更になったことを知りました。「行列のできる法律事務所(以下、行列)」の東野幸治と安田美沙子が見えたので、「撮影はご遠慮下さい」の声を無視して、新聞のためにワンショットしました(右)。安田美沙子.jpg
 体育館で、ボディペンティングを受け、その場で長いトイレの行列に並びました。30分待って、気持ちのいい排便がありホッ。海岸に向かって、ウオームアップ。クラゲさんにチクチク刺激を受けて、気合が入りました。距離が短縮したこともあり、スタート前は余裕でしたが、スタートしてからかつてない長~いバトル状態に悪戦苦闘。前回、コース取りに失敗した反省から、ブイに近いコース取りをしたところ、7百mの折り返し地点まで、自分の回りは餌に群がる鯉状態。回りには体格のいい鯉がひしめいて、怪我をした右足は何度も引っ張られ、スイムゴーグルは2回外されました。それでもめげることなく、2千mを約45分で泳ぎ切りました。。
 スイムを上がったら、24時間テレビで走ったアナウンサーの徳光さんと西尾さんから「頑張れ!」の応援が・・・元気をもらえるはずが、右足のダメージが思いの他強く、少しショックを受けながらバイクの準備へ。この時はランは無理だなあという思いで、ゆっくりと剥がれかかった右足のテーピングを交換して、バイクウエアに着替えました。近くにいた競技者がコンタクトがずれたから鏡が欲しいとの声が上がって、私の用意していた鏡を貸してあげました。大変喜んでもらって、少し元気になりました。小出さんの応援を受けながら、190kmに及ぶ長丁場のバイクへとスタートしました。佐渡を1周するバイクコースは登り坂も多いタフなコースです。最初はバイクの得意な選手にどんどん抜かれていく状態になりましたが、焦らず自分のペースを維持しました。今回は携帯電話を所持したので、北佐渡の美しい風景を撮影しながらバイクを走らせました。
 前半の難所、佐渡の北東突端の鷲崎岬(下写真は岬への登り口)の登りの途中で、TVカメラのバイクが上がってきました。これは行列のタレントが上がってくると思って、少し待っているとノッチが上がってきました。鷲崎手前.jpgのサムネール画像のサムネール画像これはチャンスと思い、しばらく近くを伴走しました。もしかするとTVに映るかもしれません。ちなみに私のゼッケンは1596番、青のヘルメット、白の上着、黒のパンツです。行列をお楽しみに。
 鷲崎エイドステーションでは、本村弁護士がチアガールに女装して、「ノッチ、遅すぎるよ。もっと頑張れよ~」って派手なリアクションをしていました。これを聞いて菊池弁護士と東野は前を走っているなと思い、少しペースを上げました。フルトライアスロン初挑戦の二人に負けるわけにはいかないという思いからです。佐渡の真東にある両津港の住吉エイドステーション(105km地点)で、予定通り小出さんに電話連絡。「足は全く大丈夫です。お尻が痛いだけです。」と話したところ、小出さんも電話の向こうでほっとした様子でした。ここでボランティアの方に行列の動向を聞いたところ、40分程前に二人は通過したとのことでした。
 後半は体の切れが良くなり、どんどんと前を行くレーサーを抜いていけるペースが保てました。この調子ならランだって行けるのではという気持ちでしたが、その思いを押し殺して、2年前のバイクタイム8時間弱とバイク後にフルマラソンへ向かう余力を残すことを目標にバイクを進めました。160km地点で、バテ気味の東野を抜き去り(左写真の右が東野)、175km地点で小出さんの応援を受けて、190kmを走り切り、競技を終えました。右足には全く違和感がなく、フルマラソンにも行けそうだという感覚はありましたが、潔く棄権をしてレースを終えました。レース後に交わした小出さんとの握手からは、よくぞ棄権したという思いが伝わってきました。私の10年に渡る競技人生2011佐渡フィニッシュ.jpgの中で、今回の佐渡トライアスロンは色々な教訓の得られた実り多き最高のレースでした。応援ありがとうございました。
 前回の新聞で私の怪我を知り、「先生、今回は今までとは事情が違います。無理なさらないで下さい。」のお手紙と、私の朝の飲み物、豆乳と野菜ジュースをたくさん差し入れしてくださったMさんには、この場をお借りして御礼申し上げます。感謝感激でした。
 さて、行列の方ですが、完走できたのはトライアスロン歴の長い菊池弁護士だけだったようです。トライアスロン歴の浅い選手に、最初からフルトライアスロン完走ができる程甘いものではないということでしょう。ちなみに、今大会でチームで参加していたスイム担当の50歳台の男性がで亡くなり、こちらの方が地元の報道では注目されていました。重大な事故を起こして皆さんを悲しませることのないように細心の注意を払って、私の生きる糧になっているトライアスロンをこれからも続けていこうと思っております。
 去る9月4日佐渡フルトライアスロンに参加して参りましたので、ご報告いたします。台風12号の影響で、スイムが3千8百mから2千mに短縮されましたが、バイク190km、ラン42・2kmは通常通り行われました。スイムとバイクを約9時間20分で終え、ランは棄権しました。私の10年に及ぶ競技生活において初めての棄権でした。悩みに悩んだ末での選択でしたが、色々な意味において勉強になった3週間でした。
実は剥離骨折だった!2011佐渡スイム.jpg
 前月号でもお知らせいたしましたように、大会3週間前の8月15日、諏訪湖湖周を走っている際に右足を受傷いたしました。走りながら聴いていた音楽(ウォークマン)のチャンネルを変えようとちょっと目をそらした時に、段差で足を踏み外し捻挫してしまいました。象の足のようになった右足を1週間はひたすら冷却したり、炎症やむくみを改善するために、強めのステロイドを注射したりしました。1週間経過してかなり腫れも引けましたが、8月22日より昔からお世話になっている田中整骨院で治療を開始しました。電気治療とテーピング、サポーターによる患部の保護を1週間受け、腫れはほとんど引けました。8月29日受診した際に、第5中足骨の基部に小さな突出が出てきており、ひびが入っている可能性を田中先生より指摘されました。受傷した際には自分で透視下のレントゲンで骨折はないことを確認したつもりでしたが、クリニック看護師にレントゲン写真を改めて撮影してもらいました。写真でよく見た所、右第5中足骨の基部にわずかながら剥離骨折が確認できました。受傷した際はお盆休みだったため整形外科を受診しませんでしたが、これがある意味では大会に参加できるようになった不幸中の幸いだったかもしれません。ギブスをされると足の関節のリハビリが遅れて、3週間後の大会にはとても間に合わなかったと思います。骨折が確認されてからは、腸管からのカルシウムの吸収を促す活性型ビタミンD製剤や骨量を増やす薬を服用し、血中のカルシウムを骨に誘導するホルモン注射も行いました。一般的には骨粗鬆症の患者さんに行う治療で、実際に骨粗鬆症のない私には医療保険上はできない治療です。医師としての立場を利用したワラにもすがる思いでの治療でした。患部の血流をよくするために千年灸も行い、ピップエレキバンも貼りました。そして、毎回サポーターをお願いしている小出俊美さんと二人で9月3日佐渡へと向かいました。
台風12号を追い払った佐渡人と佐渡トライアスリートの想い
佐渡北海岸.jpg 紀伊半島、四国中国地方に甚大な被害を残した台風12号は大会当日佐渡に一番接近いたしました。それでもわずかに進路が西寄りになったため、奇跡的に大会が開催されました。少なくともスイム中止はやむなしの状況でしたが、9月4日朝の波の高さは50cmでタイプAのスイムの距離が短縮されたものの、大会は開催されました。風力は6~7mで所により風力15mの突風が予想されたため、バイク走行への注意が喚起されました。今回の大会には芸能界を引退した島田伸介司会の「行列のできる法律事務所」から東野幸治、安田美沙子、ノッチ、菊池弁護士の4人が参加することもあって、佐渡人としては大会が開催できたことは大きな喜びだったと思います。
競技に対する私の葛藤
 1週間前に駒ヶ根市民プールで3千m泳いだこと、大会5日前にジムでエアロバイクでの運動に右足は問題なかったこともあり、スイムとバイクは何とかなるという気持ちでした。ただしランは自分の体重以上の負荷が右足に掛かるため、剥離骨折後3週間の足では耐えられないだろうと思っていました。当然のことながら、小出さんからはいつでも勇気をもって競技を中止することを進言されていました。それでも1年を掛けてこの大会のために準備してきたこともあり、バイク後の足の状態ではランにトライしてもいいのではないかという思いが競技中にもありました。バイク中、受傷2011佐渡バイク.jpgした右足には何ら違和感がなく、かえって左足の内くるぶしに痛みを感じていました。おそらく右足をかばった3週間に及んだ負荷が左足にあったのだと思います。右足に問題がなければランも大丈夫だ、それでもフルマラソンだから甘くはないか・・・私は葛藤しました。そして、バイク175km地点で応援に来てくれていた小出さんに、バイクゴール後にフィニッシュの記念撮影をしましょうと告げ、ランは棄権する意志表示をしました。
今回のトライアスロン挑戦で学んだこと
 まず、何をするにしても、「ながら」はいけないということです。一つに集中して事にあたらないと失敗することを学びました。練習であっても、音楽を聴きながらバイクをこいだり、走ったりすることは大きな事故を招く可能性があるということです。運転中の携帯電話が事故の原因になるのと同じことです。自然の音、異常な音に耳を傾けながらエクササイズすることの大切さを知りました。
 受傷した際には、相当落ち込みました。回りのスタッフも気の毒がって、気を使ってくれたことには大変感謝しています。剥離骨折など病気としては小さいものですが、この受傷を通して、病気をわずらう患者さんの弱い気持ちがよく分かるようになりました。色々な状況があって心を病んでいる患者さんもたくさんいらっしゃいます。そういう患者さんの気持ちが胸に感じられるようになった気がしています。
 今回の大会では参加する前から決めていたことがあります。沿道の応援してくれている人達に対して、顔を見て笑顔で声援に応えることです。今までも応援してくれる人に対して、手を上げたり「ありがとう」は言っていましたが、競技に集中したり、疲労があると余裕が持てずに、誠心誠意声援に応える気持ちが少なかったと思います。今回はどんなに苦しくてもきちんと声援に応えることに徹しました。そして気付いたことは、相手の顔を見て応えることで声援は大きくなり、そのパワーをもらえるということでした。バイクを終了した時に、リタイアはしましたが、フルマラソンに挑める体の軽さを感じられたのはそのせいだったと思います。このことは、競技に関わらず、人間が生きていく上で大変大切なことだと感じました。相手にきちんと向き合うことでそこに共感が生まれることを改めて知るいい機会になりました。
 私は高校を卒業してから浪人時代を3年間送っています。両親には大変な心労を掛けましたが、この挫折は私が医師となってからの大きな力となっています。あの時の苦しい思いがあるから、どんな状況でも負けないぞという力の源になっています。今回の受傷、トライアスロン棄権は、久しぶりに私が受けた挫折です。ですが、多くのことを学べた意味のある出来事でした。 小出さんには1年後、もう一度フルトライアスロンに挑戦させて欲しいとお願いし、快諾をいただきました。また、私の挑戦が始まります。これからも、皆さんの応援をお願いいたします。

 チーム鈴ランは、前山クリニックの前山先生が第39回天龍梅花駅伝に結成したチームで、今年で5年目を迎えました。私は結成以来、代表者の前山先生や小出監督の下でメンバーとしてレースに参加させていただいています。
 今回、私の走るレース区間は3区(4.5km)山登り、山下りです。過去何度も走った良く熟知しているコースでしたので気持ち的には心の余裕が有ったと思います。
 号砲と共に137チームの一斉スタートでレースが始まりました。第1区はチーム鈴ランが誇るスーパーマン伊藤君です。1区(7.5km)は強豪がひしめく激戦にもかかわらず、堂々の区間50位(28分05秒)とすばらしいタイムで走り、チームにいい流れを作ってくれました。第2区(5.3km)はチーム鈴ランの小出監督の御曹司、剛君です。さすが監督の御曹司、区間55位(20分58秒)流れを引き継ぐ見事な快走。2011梅花麦ちゃん.JPGしかしアクシデントは中継点にて起こりました。中継点で待っている私にチームナンバーの31番がコールされず、剛君が中継点に着いた瞬間に31番との大きな声に動揺しました。慌てて剛君のところまで行きタスキをもらいました(右写真)。今まで数々のレースに参加しましたが、こんな事は初めてでした。緊張と申し訳ないとの思いが交錯しながらのスタート、明らかなオーバーペース、これが駅伝の怖さなのか時計を押す事も忘れていました。山を何とか登りきり下りに入ったが呼吸が楽になりません。何か変、いつもと違う焦りが不安に変わり、下りが終わった平らのコースがきつい登りのように感じ足が思うように動かず、中継点を過ぎ、トンネルを越えた残り1.5kmも気持ちは前に行こうとしますが、足が動きません。トンネル出口にいるはずの監督の顔さえ認識出来ないほど呼吸が苦しく、残り1kmの標識が普段感じたことのない長さに思えました。残り500mと沿道からの声、目まいとともに膝が崩れ落ち転倒。沿道からの「大丈夫ですか」の声。意識は有るが体は動かず小野君にタスキをつながなければと何とか立ち上がり、「残り200m」の声で再度転倒。しかし小野君が待っているともう一度立ち上がり、ようやく小野君にタスキを渡す事が出来ました。ゴール後、救急隊の方々やスタッフの方々、6区を走るチームメイトの羽場さんのおかげで大事に至らず呼吸と脈拍が落ち着きはじめた頃、前山クリニック大応援団の方々が心配して駆けつけてくださいました。40~50分位たってようやく動けるようになったと同時に、レースが気になり始めました。4区の小野君の走りは心配していませんでしたが、私のロスタイムがどれ程なのか分からず、5区の前山先生にタスキがつながったのか不安でしたが、チームメイトの羽場さんが「大丈夫よ」と気づかってくれました。しかし恐れていた繰り上げスタートのコール、準備が慌しく始まり選手に繰り上げスタートのタスキが渡され始めましたが、羽場さんにはタスキは渡されませんでした。羽場さんが5区まではつながったよと微笑んでくれました。心の中に春の暖かい風が吹き込む思いがしました。前山先生につながれば必ずタスキはつながる、何故なら先生はアイアンマンの称号を持っている、必ず帰って来る、そう信じて待っていました。そして31番コールがありました。先生の姿が見えた瞬間2011梅花全体.jpg、涙がこぼれました。駅伝を支えるスタッフの方々から、がんばって良かったねと言われ、不甲斐無いレースをした自分が救われた思いでした。
 後で羽場さんから聞きましたが、倒れたとき「飲んでください」と名前も告げず中学生が自分のスポーツドリンクを私の為に、分けていただいた事を聞き心打たれました。
そして、今回のレースを通じて多くの方々にご迷惑をお掛けしましたことをお詫び致すと共に、多くの方々から温かいお言葉や励ましをいただき心よりお礼申し上げます。 最後になりましたが5人の最高のメンバーに助けられ、小出監督や前山クリニック大応援団の応援のおかげでタスキがつながった事を感謝致します。出来る事でしたら来年リベンジの機会をいただき、今年1年精進し次回納得のいく走りを見せることが恩返しと思っております。宜しくお願い致します。
 今回は本当にありがとうございました。

3区走者

麦島則和

香港へ社内旅行に

 10月10日より12日までクリニック、こもれびの家スタッフ13名で、香港へ社内旅行に出掛けました。あいにくの曇り空で、香港の夜景は20万ドルくらいに留まってしまいましたが、料理はとても美味しく、異国の雰囲気を満喫してきました。

 近々、スタッフ3名による香港旅行記をブログにアップいたしますので、お楽しみに。

 

2階建てオープントップバスで夜間観光

香港バス.jpg

 去る9月5日佐渡にてトライアスロンをしてきました。今回でトライアスロン大会への参加は9回目になります。昨年は念願だったフルトライアスロン(佐渡のAタイプ、総行距離236㎞)を13時間55分で完走しました。今年はBタイプ(総行距離127㎞)です。7月の大音楽会の準備に奔走していたこと、4月の長野マラソンで傷めた右大臀筋肉離れの回復が芳しくなかったこともあり、練習量は昨年の半分以下でした。それでもフルではないという安心感があり、気持ちには余裕(油断か!?)がありました。サポーターは昨年と同様、ランの師匠と仲間である小出俊美さんと麦島則和さん、そして佐渡は初めての麦島さんの奥さんにお願いいたしました。
 今年の夏は記録的な猛暑で残暑も厳しく、覚悟はしていましたが、まさに熱さとの闘いになりました。
スタートからスイム・・・思わぬ二人が!
 Aタイプのスタートは6時。そのスタートを見守っている二人の芸能人がいました。島田紳助の人気番組『行列のできる法律相談事務所』のレギュラー東野幸治とプロレスラー高田延彦です。来年、日本で一番長いトライアスロン佐渡Aタイプに、この二人とアイドルの安田美佐子が挑戦するためです。昨年私がご一緒した東伊那の白川眞武さんは今年もAタイプの参加で、二人を見つけるなり躊躇なく近づいて、「来年、参加するんですよね~、一緒に頑張りましょう」と握手をしていました。白川さんは昨年から少年時代からの夢だった無線を始めていて、佐渡でも地元の方と無線交信を楽しんだようです。「無線するトライアスリートは初めてです」と言われたとか・・・とにかく底抜けにフレンドリーな方です。
higashino.jpg 水温は27℃とぬるく、泳ぐには体力を消耗する温度でした。7時にスタート。昨年と同様にブイの近くを最短距離で泳いでいきました。ところが、昨年と勝手が違って、回りに多くの選手がいる中でのスイムになってしまいました。我々が《バトル》と呼んでいる状態です。脚をつかまれたり、頭を殴られたり、顔を蹴られたりして、ゴーグルも何度が外されそうになりました。不運なことに私の進行方向には、かなりの時間、平泳ぎでスイムをしている大柄な選手がいたのです。この方のキックには何度もやられてしまいました。2千メートルを51分で泳ぎ切りましたが、スイムではいつになく消耗感を感じました。
すぐにスタートできなかったバイク!?
 海から上がって、トランジットでバイクウエアに着替えて、バイクシューズを履こうとした時、(あれっ、シューズがない・・・何が起こったんだ?)頭が真っ白になりました。何と、バイクシューズをセッティングするのを忘れていたんです。前日、小出さんに「バイクシューズはいいの?」って聞かれ、「盗られると嫌だから朝にします」と言って、そのまま車の後ろに置いてきてしまったのです。サポーターの麦島さんの所に行ってこの事を伝えると、彼は猛然と車の移動に向かった小出さんの方へ走り出しました。携帯電話で連絡を取り合いながら、二人は連携良く私のバイクシューズを届けてくれました。この間のロスタイムは最低の10分程で済みました。このダッシュで二人の心拍数は私のレース中の心拍数よりも大幅に上昇したと思います。暑い中、いきなり汗だくにさせてしまって、申し訳ありませんでした。心の余裕というのは、油断につながることを思い知らされました。
bike.jpg バイク前半30㎞までは、シューズの失敗を引きずったためか、重い脚取りでしたが、中盤から後半では、自分でも不思議なくらい脚が軽くなり、クラウチング(抵抗の一番受けない姿勢)を取って、ペダルを軽快に回すことができました。前半ではかなり抜かれましたが、後半は抜き返すことができました。バイクゴール手前20㎞くらいの地点では、思わず「佐渡は最高だ~」と叫びながら走っていました。程なくして、いつもの最後の上り坂でサポーターの皆さんの声援を受けました。自動車で走り抜けながら麦島さんの撮影してくれたショットは、スピード感のあるいい写真になりました。ありがとうございました。バイク105㎞は4時間28分でフィニッシュしました。
熱中症に注意しながらのラン
 この日の最高気温は33℃、ランのスタートは12時20分頃で、一番気温が高い時間帯でのランになりました。体感温度は優に40℃を越えていたと思います。エイドステーションは約2・5㎞置きに設置されていますが、ここでは十分な水分と塩分の摂取と、とにかく冷たい水をかぶって全身を冷やしました。冷水を含んだスポンジを首の後ろや腰に入れて、キャップの下には氷を入れて走りました。それでもエイドステーション間の2・5㎞は持たない感じでした。地元の方々が、軒先でホースで放水してくれたり、スイカやお水を提供してくれたりして、この温かい援助に助けられました。ランでは約130名を抜いて、20㎞を2時間12分でゴールしました。トータルでは、総行距離127㎞を7時間半で完走し、Bタイプ男子555名中308位の成績でした。
2010sadorun.jpg 昨年とは違って、余裕を持ってゴールが出来、生ビールも美味しく一気に飲むことができました(昨年は胃をやられて不可)。Bタイプの完走率は96%でしたが、Aタイプの完走率は77%(昨年は92%)で、今年のレース条件がいかに過酷なものだったかが伺えます。白川さんはランで足裏に大きなマメを作りながらも、15時間4分での完走を果たしました。お疲れ様でした。
 トライアスロンへの挑戦は、これからも続けていきたいと思っています。佐渡Aタイプへの再挑戦も考えていますが、将来的には佐渡以外の大会や、仲間とチームを組んでのリレー参加もできればいいなあと思っております。
 小出さん、麦島夫妻には献身的なサポートをしていただき、本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
医療法人すずらん まえやま内科胃腸科クリニック ご予約・お問い合わせ 0265-82-8614